2024-05-12
ラインの速度にあわせるのが大変
チャットを読み書きするのが大変なのではなく、それらを始めるのが大変という話。ラインが嫌いとかでは全然ないし、会話が嫌いなわけでもない。
僕はラインを手紙くらいの速度でしか見たくないと思うような付き合い方をしてしまっている。議論とかすり合わせをガッとする文脈になれば集中して通知を気にするようにはなれるのだけど、そうではなくて雑談とか、会話ではなく外部の処理に時間のかかるイベントの後処理とかをする文脈だとなかなか通知を見れないというか、そこに意識と返信の気合を割けない。
そもそもラインとか会話に限らず、返信とかリアクションを外部からの割り込み契機で行うのに辛さを感じる気がしている。例えば宿題出されてそれをやるのがしんどいのと同じイメージ。自分からこの辺の分野・技術を学んでみようと思ってやるのは何も辛くないし、むしろ他の辛さを乗り越えてでもやろうと思うが、それが外部から要求されると辛くなる。
おそらく原因は人から指図されることではなく、自分がそれをやる体制に入っていない状態で、やる義務を感じてもやる気にならないことにあると思う。宿題はやり始めて意義を感じたり調子が出たりすることでやるのが辛くなくなる。それが2,3週間かかるものであったとしても、体制に入れると辛くなくなる。
ラインの件も同じだと思っていて、普段僕は会話や事務処理をするモードではない。そのタイミングで人からその依頼が飛んでくると、会話に返事する義務を感じはするものの、処理するやる気は出てこない。
雑談はしてると楽しいし、事務処理も乗ってくると楽しいものではあるのだが、それらを始めるのに時間がかかるし、大変なのだ。これは子供の頃から変わらない(なんなら全人類そういうものなのではないだろうか)ので受け入れて自分の問題として迂回するなり利用するなりしていこう。
ちなみに仕事でSlack使うのは全然苦ではない。仕事するためにSlackでコミュニケーション取るのは有効だと思っているし、始業はすでに始めるインセンティブを持てているので苦なくSlackコミュニケーションは取れる。プログラミング集中してるときとかは通知に気がついてもちょっと返信したくないときがあるにはあるが、それくらい。基本的に仕事するときにはリアクションを優先するモードになっているのだと思う。コードレビューと同じ意識を持っていて、普段のあれとは異なる。そして、仕事する時間は決めていて休日にSlackの通知は切っているがそれが他の人に対しても共通の認識になっているのは良い。
ラインでも時間決めてプロフィールに書くとかするか?(あまり書きたくないけど)。休日の作業しない時間とかになりそうではある。ちなみに今がほとんどそんな感じの運用になっている。
感謝を伝えるのも大変
感謝を伝えるのが苦手で、ご飯奢ってもらったりプレゼントをもらったときとかどういう顔をすれば良いかわからなくなる。
ラインでそれをやらないといけない状況ではなかなかヤバい。気がつくとなぜだかわからないが(ライン見ないからなのだが)伝えたい感謝が2,3個溜まり、ついでに謝りたいことも少しできてたりする。早めに、こまめに連絡するのが良いのだろうな。
感謝を伝えるのは単に技術の問題な気がするのでさっさと習得しよう。特に複数溜まった感謝の意を伝える能力が欲しい。
会話やチャットに文脈があるように、僕が日々過ごすことにも文脈というかモードというかがあるみたいだ。仕事、雑務、おしゃべり、勉強、家事、読書(小説)、読書(技術書)、外出、網羅的でも排他的でもないが、それぞれに飽きて数ヶ月やらなくなることはないが、数週間くらいならおろそかになるものが出てくる。
排他的ではない例として、仕事な雰囲気になっているときに雑務、おしゃべり、プログラミングは全然する。ただし、雑務やおしゃべりはプログラミングに集中しているときはできないし器用に行き来も無理。
このセクションは、だからどうというわけではないのだけど走っているときにそんなことを思ったのでメモ。